Vol.14 悩める世代の遅々たる歩み(2)
2001/04/01  by Kotetsu

ようこそSUMOへ。今日は天秤座のA型がイケニエです。
いきなりコラムを書けとBOSSの洋一から指令を受けまいて、徒然なるママにアカラサマナことを書きナグリ続けてハヤ4ヶ月。
新しいこと始めようと思いおととい除隊しました。退役軍人のコテツです。

またまたキました。春ですな。
金・土と恐ろしい寒さに凍死しかけましたが今日なんかは格別に春です。
自分に関していえば、年をとるにつれ季節の移ろいを感じづらくなっていたような気がしますね。
とくに社会人時代は、季節を感じた思い出がほとんどないように思えます。

子供の頃…
春って季節は100%の確率で変化をもたらす強力なパワーを持ってました。
望もうが望むまいが、自分を取り巻くいろんなモノがガラッと変わり、
うれしかろうがうれしくなかろうが、自分自身も変化に影響を受け徐々に徐々に変わっていく。
そんな季節をオイラはもう29回も迎えることになるようです。

自分の過去にある28回もの春。その中のどれも実感することはできないように思えます。
ほのかな記憶は夕べの夢よりあやふやで、無理やり意識上に持ち出すと弾けてバラバラに壊れちまいます。
何が起きたのかは思い出しても、何を感じたかは思い出さない。
考えるときの特徴なんですかね、こういうのって。

でも逆に、あることをきっかけに抑え切れないほどリアルな感情が突然湧き上がることもありますね。
この場合、いつ誰とどこで何をしていたときの気持ちなのか?こっちのほうが曖昧なようです。
おいらは、AHAとかスカンジナビアなんとかとかって曲を聞くと、幼い頃チャリで九十九里浜を目指したときの道中の気分が蘇ります。
クリスマスソングを集めた今は亡きCDも、二十歳頃に恋愛してたときの気持ちを強烈に呼びましたし、OFFSPIRINGのSMASHはNZでのある晴れた日を感じさせます。

こんなことを書きながら思います。
「今」この瞬間の実感が、「あのとき」のものだと特定できることは、「過去」のものだと意識する中でも極々一部。
「過去」のものの中でも強烈であり瞬間的であり、なおかつ意識上の記憶と奇跡的な一致を果たしたものだけが「あのとき」の思いになってるような・・・
考えてみると「今」の感情を「過去」のものだと判断する根拠自体も、漠然とした因果関係の薄さくらいしかありません。

=「今」の自分は部屋で一人音楽を聞いている=

その認識と、あまりに結びつかない感情が湧き上がっため、思いは過去へ流れ出す。
「今」この瞬間に認識と感情が結びつかないほどのギャップ。
偶然生じたこのギャップのみが、意識をして今を過去に感じさせ、過去を今に呼び戻す。
良くも悪くもそういうものなのかもしれません。

願わくば「今」を感じ「哀れ」を感じる春であって欲しい…